ボルダリングを家族に理解してもらう話
51歳・ボルダリング歴10年のレンが、週末の趣味を家族に理解してもらえなかった頃から、少しずつ歩み寄っていった実体験を綴ります。妻や息子に反対される、わかってもらえないと悩んでいる同世代へ。
こんにちは、レンです。九州在住の51歳、週末ボルダリング歴は10年目に入りました。
このブログを覗きに来てくれる方の中には、登ること自体より「家族にどう説明するか」で足踏みしている人が、けっこういるんじゃないかと思います。妻にいい顔をされない。子どもに「またジム行くの」と呆れられる。家のことを後回しにして自分だけ楽しんでいるようで、なんだか後ろめたい。
その気持ち、私もよく覚えています。今でこそ家族は私の趣味を当たり前のものとして受け入れてくれていますが、最初からそうだったわけではありません。むしろ始めたばかりの頃は、家の中で一番気を遣う相手が壁ではなく家族だった、と言ってもいいくらいで。
今日は、うまくいった自慢話ではなく、わかってもらえなかった時期から少しずつ歩み寄っていった、その過程の話を書いてみます。
最初は、こっそり始めていた
正直に書くと、私は40代の終わりにボルダリングを始めたとき、家族にちゃんと相談していませんでした。
「平日の仕事帰りにちょっと寄っただけ」みたいな顔をして、こっそりジムに通っていた時期があります。妻に「何か趣味でも見つけたら」と言われてはいたものの、まさか中年男が壁にぶら下がる遊びを始めたとは言いづらくて。
最初に妻が気づいたのは、たぶん手のひらでした。ホールドを握り込んでいると、手の皮が硬くなったり、ときどき豆がつぶれたりする。「その手どうしたの」と聞かれて、ようやく白状した記憶があります。
そのときの妻の反応は、怒るでもなく喜ぶでもなく、「ふうん」という感じ。今思えば、いきなり打ち明けられても反応に困りますよね。趣味そのものより、黙っていたことのほうが引っかかっていたんだと思います。
このスタートの仕方は、あまり良くなかったと反省しています。隠していると、どうしても「家族に言えない後ろめたいこと」という色がついてしまう。最初からオープンに「これ始めてみたいんだけど」と一言あれば、その後の空気もだいぶ違ったはず。
反対というより「わからない」だった
しばらくして、週末に出かける回数が増えてくると、家の中の空気が少し変わってきました。
はっきり反対されたわけではありません。ただ、私が土曜の朝にいそいそと支度をしていると、妻の口数が減る。中学生の息子は「父さんまた行くの」と、呆れ半分の目で見てくる。面と向かって文句を言われるより、こういう静かな空気のほうがこたえました。
このとき私が勘違いしていたのは、「反対されている」と思い込んでいたこと。でも、よくよく考えてみると、家族はボルダリングそのものに反対していたわけではなかったんですね。
何が問題かというと、家族から見れば中身がまったく見えていなかった。
- どこで、何をしているのか
- どれくらいお金がかかっているのか
- 危なくないのか、怪我をしないのか
- いつ帰ってくるのか
このあたりが全部ぼんやりしたまま、自分だけ楽しそうに出かけていく。それは家族からすれば、不安だし、置いていかれる感じがするのも当然でした。「反対」ではなく「わからないから不安」。ここに気づいたのが、最初の小さな転機だったと思います。
まず、お金と時間を見える形にした
そこで私が最初にやったのは、立派な説得ではなく、地味な「見える化」でした。
ボルダリングはお金のかからない趣味だと私は思っていますが、家族にとってはそれも勝手な思い込み。なので、月にいくら使っているのかを、隠さずに話すようにしました。ジムの利用料がだいたいこれくらい、シューズやチョークは最初に揃えればしばらく買い替えない、と。
実際に数字を並べてみると、世間にある趣味の中ではかなり手頃な部類です。妻も「思ったよりかからないのね」と。お金の話を曖昧にしていたことが、不安を膨らませていたんだと気づきました。
時間についても同じで、「土曜の朝に行って昼過ぎには帰る」と、おおまかな枠を最初に伝えるようにしました。何時に帰るかわからない、というのが家族にとって一番落ち着かない。帰宅時間の見通しがあるだけで、送り出す側の気持ちはずいぶん違うようでした。
道具にいくらかかるのか気になる方は、ボルダリングで最初に揃える道具5点 も覗いてみてください。最小限で始められる、という話は、家族を安心させる材料にもなると思います。
「危なくないの」には、正直に答える
家族がいちばん気にしていたのは、やはり安全面でした。
息子に「それって落ちたら危ないんじゃないの」と真顔で聞かれたことがあります。中学生なりに、父親が変なことをして怪我をしないか心配だったんでしょうね。
ここで私は、変に「全然平気だよ」と強がらないようにしました。室内のジムなら下に厚いマットが敷いてあること、無理に高いところまで登らなくても課題は楽しめること、そのうえで50代だから怪我には人一倍気をつけていること。良いところも気をつけている点も、正直に話す。
50代で続けるうえで体のケアをどう考えているかは、50代クライマーの怪我予防と回復のリアル に書きました。家族に説明するとき、自分の言葉だけだと説得力が弱いなと感じたら、こういう「ちゃんと考えている」という姿勢が伝わる材料があると、話しやすいかもしれません。
過度に安全を強調するより、リスクも理解したうえで慎重にやっている、と伝えるほうが、家族には届く気がします。少なくとも我が家ではそうでした。
一度だけ、家族をジムに連れて行った
歩み寄りの一番の転機になったのは、思い切って家族をジムに連れて行った日のことでした。
何度説明しても、言葉だけでは伝わりきらない。それなら一度見てもらおう、と。最初は妻も息子も乗り気ではなくて、「べつに登らないけどね」と言いながらついてきた感じでした。
ところが、これが面白いもので。マットの上で私がよちよち登っているのを見て、息子が「父さん意外と登れるじゃん」と。そのうち本人が「ちょっとやってみたい」と言い出して、貸しシューズを履いて低い課題に取りついていました。妻も、最初は隅で見ているだけでしたが、ジムの雰囲気が思っていたより和やかなことに安心したようで。
帰り道の空気が、行きとは明らかに違っていたのを覚えています。中身が見えたことで、「父さんが何をしに行っているか」が家族の中で具体的なイメージになった。これが大きかった。
もちろん、家族がそのままハマったわけではありません。息子はその後ゲームに戻っていったし、妻が一緒に登ることもありません。それでいいんです。やってもらうことが目的ではなく、見て、知ってもらうことが目的だったので。一度共有できた景色は、その後ずっと効いてきました。
趣味を「家族の時間」と引き換えにしない
歩み寄っていく中で、私が自分に課したことが一つあります。それは、ボルダリングを家族の時間と引き換えにしない、ということ。
具体的には、家の行事や子どもの用事がある週末は、迷わずそちらを優先する。登れない週があっても、それで焦らない。10年もやっていると、行けない週末のひとつやふたつ、どうということはないと思えるようになりました。むしろ、家族との予定を後回しにしてまで登りに行くと、せっかく築いた理解がまた崩れてしまう。
このさじ加減は、続けるうえで大事なところだと感じています。私が10年続けてこられたのは、たぶん「強くなろうとしなかった」のと同じくらい、「家族との折り合いを最優先にした」からでした。趣味のために家庭をぎくしゃくさせていたら、どこかで続かなくなっていたと思います。
このあたりの心構えは、始めた頃に書いた 50代からボルダリングを始めて気づいた7つのこと とも地続きです。続けるコツは、登り方そのものより、生活との付き合い方にあるのかもしれません。
今では、ちょっとした応援団
10年経った今、家のボルダリングを巡る空気はすっかり変わりました。
土曜の朝に支度をしていても、妻はもう何も言いません。それどころか「今日は新しい課題できた?」と聞いてくることもあって。息子は相変わらずついてはきませんが、「父さんの趣味」として、ごく普通に認識してくれています。
何が変わったのか振り返ると、特別な説得をしたわけではないんですね。お金と時間を見える形にして、安全についても正直に話して、一度だけ実物を見てもらって、家族の時間を犠牲にしないようにした。地味なことの積み重ねで、いつのまにか理解が空気のように当たり前になっていた、というのが実感です。
家族に趣味を理解してもらうのは、一発の説得で決まるものではなくて、小さな歩み寄りを重ねていくものなんだと、10年かけて学びました。
おわりに
家族にわかってもらえない、反対されている。そう感じている方に伝えたいのは、それはたぶん「反対」ではなく「わからないから不安」なんじゃないか、ということです。
中身を見せて、正直に話して、家庭をないがしろにしない。順番に手をかけていけば、時間はかかっても、少しずつ空気は変わっていくと思います。私自身、こっそり通っていた後ろめたい時期から、ここまで来られたので。
同世代のみなさんが、家族と気持ちよく折り合いをつけながら、長く壁の前に立ち続けられますように。
また気が向いたら、覗きに来てください。
レン(週末ボルダー・10年目)
九州在住・51歳。会社員しながら週末は岩場やジムへ。 トップクライマーじゃない普通のボルダー目線で、これから始める人向けに書いてます。